+15㎝のアイデンティティ

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様々な現場を取り上げられ、多くの制約を強いられ、枕を押し付け呼吸を止められるようにじわじわと心を殺されたような一年だった。

現場至上主義ではなく、特技ステイホームな明るい引きこもりのわたしでさえ、そう感じた。

とはいえ、それをまざまざと自覚したのは昨日のことだ。

松竹ブロードウェイシネマで上映されたキンキーブーツを観た。

broadwaycinema.jp

 

エンターテイメントの本場ブロードウェイ。

すべてがHighな場所で大喝采を受けた舞台を日本で観られる。

たった3000円で字幕付き。なんて時代だ。

しかもずっと観たいと思っていたキンキーブーツ。絶対観たい。

上映することを知って即チケットを購入した。

予約確認メールを何度も見返し、サイトで上演会場を確認し、楽しみだとツイートする。

こんなの、いつぶりだろう。チケットを取った瞬間からずっと楽しい。

生の舞台を見るわけでもないのに。ただの上映なのにね、すごくワクワクした。

受付でチケットを見せて、消毒して検温して、席について。

始まりから終わりまで、122分間一秒も余すところなくずっとドキドキしっぱなしで。

舞台を撮影していると思えないくらい鮮やかな映像と音質。

コロナ前に収録されたものらしく観客の歓声も拍手も入っているので、こちらの心の叫びが反映されたかのようにドンピシャなタイミングでおよそ1500倍*1になってスクリーンの中に反響する。

どう考えても、最高!!!!!!!

ラストのRaise You Up/Just Beでマスクがびしょびしょになるほど泣いた。

ストーリーのクライマックスというのはもちろんだけど、15㎝のキンキーブーツを履いてモデル歩きしたローラが心に押し付けられていた枕を取り払って「ほら、息を吸って!しっかり私を、私たちを観て!!」と言ってくれたような気がして。

いや、そんなのポエマーの妄想だって分かってるんだけど。

わたし、疲弊していたんだなぁとここで気が付いた。

現場至上主義じゃない。ステイホーム大好きな引きこもり。

だけど、一年間かけて疲弊していたらしい。

今日メイクどうしようかなも、何着ていこうかなも、何食べる?もなくて、配信対応してくれたものを自宅で見て「仕方ないよね」「次は現地で観たいね」って物分かりよく納得して。

そういう小さな積み重ねをしてきた一年間で、気づかないうちに少しずつ。

まだしばらく続くこの現状で、気付けて良かった。

気付かずに見ないふりして心を枯らさなくてよかった。

Just be.

Who you wanna be Never let'em tell you who you ought to be.

そのままで。

なりたい貴方のままで 他の誰かに決めさせないで。

どんなに情勢に奪われても、時代が生きろと言っている。

高濃度のエンタメドーピングで回復した心を、たっぷり甘やかしていこう。

 

 

※ここからはキンキーブーツ本編のネタバレを含んだ感想です 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰しも強くありたい時に武装をする。

メイク、服装、装飾品、ご褒美という名目のおいしい食事やお酒…人によっては鞄の中にお気に入りのぬいぐるみを連れて行ったり。

その形は様々で、ローラにとって「ローラである」ということが盾であり矛だ。

ローラをはじめとするドラァグクイーンたちは15㎝のヒールに自尊心と自己肯定感を載せて踊るけれど、彼女(あるいは彼)達を支えるには「普通の」15㎝ではあまりにも脆い。

その脆さはローラ自身の脆さのメタファーであり、キンキーブーツはそんなローラを支えるための「キンキーな15㎝ヒールのブーツ」を作る物語だ。

もう一人の主人公チャーリーは、ずっと自分の人生から逃げていた。

老舗靴工場の一人息子として生まれ、靴屋として生きることが決まっていた。

その現実から逃げたくて幼馴染であり婚約者の二コラが望むがまま電車に乗り、ロンドンへ。

ロンドンの生活も束の間、父の死をきっかけに田舎へ戻り突然社長になったチャーリーは、従業員の生活が自分の肩にかかっている現実に直面する。

ローラとの出会いをきっかけに新たな市場開拓としてドラァグクイーン向けの「キンキーな15㎝ヒールのブーツ」を作ることを決断する。

キンキーブーツはチャーリーが始めて選択し、決断し、挑戦する物語だ。

この二つの物語がシンディ・ローパーの楽曲で脚色されて進んでいく。

わたしはシンディ・ローパーについて詳しく知らない(有名どころの曲しか知らない)のだけど、ショーミュージックからバラードまで、鑑賞後の帰り道にもう口ずさめるくらいキャッチ―なメロディばかりで、さすが時代のムーブメントを作った人だなと思った。

挫折や偏見、マイノリティを盛り込みながらシリアスに沈み込みすぎず観ることができるのはキャラクターの力も大きいと思うのだけど、なんといってもローレンが!最高!

工場を立て直そうとするチャーリーの姿に、彼への恋心を自覚し葛藤する幼馴染の女性なのだけど、表情が変わる変わる。

クリアでハイトーンな歌声とコミックリリーフ顔負けの動き。表情筋の自由度が高い。

コミカルな演技に気を取られがちだけど、ローレンはこの物語の中で一番柔軟なキャラクター。

チャーリーの大きな経営転換にも対応し、ローラにも一度も偏見の目を向けない。

そんなローレンと対照的に登場するのが代々工場勤めをしてきたザ・ボス猿タイプのドン。

キンキーブーツのデザイナーとして工場を訪れたローラを「お嬢さん」と馬鹿にし、何かにつけて絡んでくる。

ドンとローラが対決した後のバーでのやり取りがすごく印象に残っていて。

「ありのままを受け入れて」

「女装を認めろっていうのか?!」

「ほっといて欲しいの」

 いま世界は少しずつ多様性を受け入れようと歩みを進めている。

「受け入れる」「認める」って「肯定する」とイコールにされがちだけど、別に肯定する必要はないんですよね。

例えば髭が性癖並みに好きな人もいれば、生理的に嫌!という人もいる。

例えば右利きの人もいれば、左利きの人もいる。

誰に肯定されなくても「いる」。否定されたからって消えるわけじゃない。

すべてを好きになれ肯定しろなんて無理な話で、わざわざ攻撃(口撃)するのをやめて「そうなんだ」でいいんですよね。

こういうメッセージがセリフや歌詞にカジュアルに散りばめられていて、意固地にならずに受け入れられる作品だなと思う。

婚約者の二コラもとても素敵な女性だったな。

欲しいとねだっていたハイヒールを自分の力で手に入れて、妥協することなく憧れのロンドンで生活することを選んだ。

チャーリーに別れを告げてハイヒールで去っていく後ろ姿、かっこよかった。

そして!何よりも!!!

エンジェルズの美しさ!!!!!!

元々ハイヒールでバチバチに踊るエンタメが大好きなんですが(ex.バーレスク)、均整のとれた体を余すところなく贅沢に見せびらかして踊るエンジェルズとローラが本当に好き。

同じ人類に区分してほしくないくらい長くて美しい脚に15センチのヒールを履いて踊るので股下が長い長い。世界どころか宇宙跨げる。

わたしも15㎝ヒール履いたことあるんですが、立ってるのもやっとで歩くだけでほんと大変なんですよ。

体のありとあらゆる筋肉が悲鳴を上げる。

それを体の一部のように、しかもピンヒールであの速度で踊るのは常軌を逸している。

 

ローラがデザインしチャーリーが工場の仲間達と作った、鋼の芯が入った絶対折れないキンキーブーツ。

+15cmの世界を優雅に見渡すには訓練が必要だ。

グラグラと震えながら立ち上がり、何度も転んで、時には怪我もするだろう。

その痛みを忘れないまま憧れを貫いた+15㎝の世界は決して揺らがない。

揺らいだとしても大丈夫。手を差し出してくれる仲間がいるから。

 

Ladies,Gentlemen,And those who have yet to make up their maids!

紳士淑女の皆さん、そしてまだどちらか決めかねているそこの貴方!

世界中が熱狂するローラのキンキーブーツ !

ローラたちが教えてくれた幸せへの6ステップを胸に、わたしを輝かせる靴を買おう。

 

(3月7日 一部加筆修正済み)

 

*1:上演されている会場(おそらくロンドンのアデルフィ劇場)の収容人数。会場が映るシーンが何度かあるがもっと入っているように見えるから違うかもしれない。