
ネタバレ全開なので、視聴してから読んでください。
- はじめに
- ジュディ・ホップスへの憧れ
- ニック・ワイルドへの共感
- ジュディとニック、ただそれで良い
- ゲイリーに何を重ねるか
- 二ブルズ、良いやつ
- パウバートの危うさ
- 無自覚の暴力性
- まとまりきらない!
- さいごに
はじめに
公開初日にズートピア2を観てきた。
待ちに待った続編は、高すぎるハードルを軽々と超え、あらゆる感情を刺激してきた。
パンくずを拾うように謎を追い、ヒントを繋ぎながら進む物語。
ご都合主義という感想もあるようだけど、子どもだって見る作品なんだから、それでいい。
一方で、多層構造の脚本になっており、観る人によって「どこが刺さったか」が変わる作品だと思う。
かく言うわたしも、あらゆる方面から刺されまくった。
どこが刺さったのか。どう解釈したのか。
今の段階で言葉になっていること、なりきっていないことも含めて、感想を残しておきたい。
ジュディ・ホップスへの憧れ
前作から引き続き『うさぎ初の警察官』として奮闘するジュディ。
わたしはジュディの痛々しいほどまっすぐな姿に、憧れると同時に怯んでしまう。
世界を善くしたいと行動できる彼女が眩しすぎるから。
たった一人が行動しても世界は変わらないと、諦めているから。
思えばわたしは、ニックに近い視点でジュディを見ているのかもしれない。
希望に輝く大きな瞳が曇りませんように。
その志が、挫けて捻じ曲げられることがありませんように。
ジュディ・ホップスが望む『正義の道』を進めますように。
たとえ、彼女の振りかざす正義の先が、おままごとのような事件ばかりだったとしても。
ジュディが傷つかないなら、それでいい。
でも、ジュディは見つけちゃうんだよね。
本当に正義を必要としている動物たちを。そして、行っちゃうんだよなぁ、ジュディは。
傷ついてほしくないのに、傷つくことを厭わない。
ジュディはジュディで、追われている。
自信が持てない自分に。
間抜けなうさぎという周囲の声に。
「うさぎ初の警察官」というプレッシャーに。
唯一自分を信じてくれた、ニック・ワイルドにいまだ向けられる偏見に。
早く、早く。早く前に進まないと追いつかれる。
忙しなく暴走するジュディは、一匹で背負えるはずもない大きな荷物を背負いながら、逃げている。
ジュディのコンプレックス溢れる早口な感情の吐露が、苦しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。
ジュディは、確かなものが欲しかったんだと思う。
自分を信じるために。自分を信じてくれたニックを、周囲に認めてもらうために。
どんなに頑張っても努力しても、結果が出なきゃ意味がないって思ってしまうよね。
ジュディは、『うさぎ初の警察官』という結果が出るまで努力をしてきたんだから。
必死なジュディの視界には、ジュディがいない。
ニック・ワイルドへの共感
一方で、ニックの視界にはジュディがあまりにも大きく映る。
憧れの警察官になれたとて、今までの逃げ癖が治るはずもなく。
否定され続けた数年間が、幼いころのトラウマが、そんなに簡単に癒えるはずがないのだ。
障害物競争のコースの横道を歩くことで、転ぶこともぶつかることも避けてきた。
大人になってからコースに戻るのは怖い。
傷の治りは遅いし、過去のカサブタが剥がれたり、打ち所が悪ければ致命傷になるかもしれない。
そうやって見ないふりして生きてきたニックのネクタイを引っ張って、無理やりコースに連れ戻したのが、お転婆警官のジュディなんだ。
一緒に転んでくれて、ぶつかってくれて、そんな貴方とパートナーになりたいと言ってくれて。
そうして二人そろってスタートラインに立った今作なのだ。
そりゃ視界にも大きく映るってぇ……!
言葉にするのがへたくそなニック。
でも、行動の端々に「ジュディを失いたくない」「何よりも大事だ」というのが伝わってきて、にやにやするより切ないほどだった。
だってジュディは違うから。
ニックが大切なのは当然だけど、それとは別ベクトルで貫きたい信念がある。
年を重ねるほどに、憧れが遠くなり、ずっと先で輝くそれを守りたくなる。
でも、ニックの根っこってジュディとめちゃくちゃ近いと思っていて。
守るんじゃなくて、隣で一緒に突っ走ってたまにブレーキを踏んだり背中を押してやるのが一番似合う。
だから、終盤に二人が隣同士で暴走しだしたときの興奮は凄まじくて!
それでいいんだよ、ニック・ワイルド。君が尊敬する大好きな相棒の隣に、いつまでも立っていてくれ。
ジュディとニック、ただそれで良い
あとから襲い来る不安に、急いで走って壁に体当たりして進んできたジュディ。
偏見に自ら沿うことで自分を守ってきたニック。
どちらも間違いじゃない。正反対で、自分以外のやり方を知らないだけ。
この『他者との違い』が今作のテーマの一つだった。
互いの違いにショックを受け、手を取り合えなかったジュディとニック。
言葉の使い方は様々ある。
違うから、知る。
知るために、話す。
いずれにしても、言葉を交わさなければ何も発展しない。
結局、不器用な二人は互いの思いを息せき切って吐露しあって、違いを知る。
他人と違うなんて当たり前のことで。
違いを矯正しあうんじゃなく、重なり合ったところは手を取って、違うところがあるから学び合える。
ファンの間では、この二匹の関係性の発展も注目されていた。
本編の中で「周りからはカップルに見えていますよ」という描写がいくつかあったけど、わたしはこれを「公式が二人を恋愛関係としている証拠」とは受け取らなかった。
周りにどう見られようと、実際の関係値は当事者にしか分からない。そういうメッセージとして解釈した。
これまで、あらゆる形で「自分が見ている世界がすべてではない」「誰しも偏った思考を持っている」ということを描いてきたズートピア。
その作品の中で、あまりにも分かりやすく描かれる『恋人』というラベル。
ジュディとニックが恋人同士になるのが嫌なんじゃなくて、周囲がなんと言おうと、二人の関係は二人だけのものだ。
恋愛至上主義の世界の空気って、いつも「ん~…」となってしまう。
同性同士で、今作のニックのような『激重感情』を抱いた友情作品だってあるだろうし。
男女になった途端に、その感情の先にある関係性は恋人同士だ!って周りが騒ぎ出すのって、ズートピアという作品において、ちょっと乱暴なんじゃないかなぁと。
ジュディとニックが幸せなら、その関係につくラベルなんて、なんでもいいよ。つかなくたっていい。
それほど関係に名前をつけてほしいのかな。名前があると安心するもんね。
感情や関係性って、曖昧なことの方が多いと思うんだけど。
なんというか、うーん。1.2と丁寧に描かれてきているのに、周りの騒々しさがナンセンスだなと思ってしまう。
ゲイリーに何を重ねるか
前作でジュディが言っていた「誰でも、何にでもなれる」という根拠のないポジティブワードが、今作でゲイリーが繰り返し口にする「大丈夫、きっと上手くいく」だと思う。
二匹とも、前例がない事象に立ち向かうために、ずっと自分に言い聞かせてきたのかな。
「ズートピアに行けば、誰でも何にでもなれる」
「ズートピアに行けば、大丈夫、きっと上手くいく」
根拠のない肯定を、何度繰り返したんだろう。
ゲイリーがどの立場を代弁しているのかは、観る人によって解釈が変わると思う。
正解というのはなくて、この世界には、それほど彼に重なる人たちが多く存在している。
ゲイリーの願いがささやかであればあるほど、それを奪ってまで叶える欲望って何なんだろうと思う。
でも、これはゲイリーの話を聞いたから言えることで。
誤解どころか、何も知らずただ無知であるがゆえに暴力に加担していることが、きっと今もある。
ゲイリーがたびたび「ハグしてもいい?」と確認を取るのは、自分が異種族で、いまだに誤解を受けている『毒蛇』というのを分かっているからで。
相手を傷付けるつもりはないという意思表示と、同時に、相手の事を知りたい・知ってほしいという願いでもあるのかなと思った。
正直、まだゲイリーという存在に対して、どの角度から見ればいいのか測りかねている。
それは多分、わたしがマジョリティ側でいた時間の方が多く、鈍感でいてこられたからだろう。
全てのメッセージを敏感に受け取ることが正しいとは思わない。
けど、ゲイリーを自分に重ねている誰かの心を、もっと深く知りたいと思う。
二ブルズ、良いやつ
陰謀論系zootuberのニブルズ。いいキャラだったなー!
感情を口にしたり、自分に自信を持てないバディに対して、思ったことをすぐ口に出し、自分が信じることを発信し続けるニブルズ。
現実的な話をすると、誰かから発信された言葉って、大なり小なり虚実入り混じっているものだと思う。
今回はたまたま、ニブルズの主張が真実だった。でも、だからと言って、彼女が語る全てが真実ではない。
彼女の爬虫類に関する話が真実と結びついたのは、実際に彼らの元に通って言葉を交わして、関係性を築いてきたからだと思う。
前作では柔軟に見えていたニックですら、水生動物に対して自分の作法で対応しようとして下手を打った。
一方で、ジュディは「ニブルズに任せよう」と彼女を信じて案内を頼んだ。
関係性の構築で重要なのは、対話と信頼だ。
ビーバーがダムを作る(環境を変える)ことで、色んな生き物を森に呼び込み、生物の多様性に一役買っているという話を聞いたことがある。
だから、他種族と爬虫類との媒介役として、ビーバーが選ばれたのかなと思った。
パウバートの危うさ
彼は、今までのディズニーヴィランには珍しいタイプだなと思った。
他作品のヴィランって、世界征服や若さや権力への執着という己の欲望を手っ取り早く実現させるために、悪の道を選んだ。
パウバートは「家族に愛されたい」という、これまでは主人公側に合った欲求が歪んで捻じれて、ああいう行動を起こしてしまう。
パウバートに自身を重ねる人も、少なからずいるんじゃないかな。
誰でも何かしらの欲求を持っている。
それを手に入れるためにどの道に進むのか。
自分自身とどう向き合って、コントロールをするのか。
わたしはジュディに憧れるけど、同時にパウバートになる危うさも持っている。
愛する人に認められたい。褒められたい。受け入れてほしい。
そのためにどういう手段をとり、どんな自分を見せるのか。
こういう時に、外的指針ではなく、自分の中の内的指針がどこを示すかで、大きく道が変わるんだろう。
一族が捕まって収容された先で、嬉しそうに父親に話しかけるパウバートが印象的だった。
自分を無下にしてきた一族を憎んで、彼らと縁を切れたら、きっと楽だ。
家族と和解して受け入れられるのが一番のハッピーエンドだと思うけど、一族の利益のためにあそこまで振り切った彼らが更生するのか……。
パウバート自身が一族への執着を手放せる日が来るといいな。
無自覚の暴力性
ズートピアシティに思いを馳せると同時に、自分が生きている社会を思う。
未完成で未熟な社会。
多様性を受け入れよう、認めようと声高に叫んでいる社会。
でもそれって、上から目線にもほどがあるよね。
他者に対して許可を出すとか、受け入れようとか、そういう話じゃない。
いるんだよね、ずっと。
違う部分を見ないふりをして、共通点だけで同一化しようとすると、柔らかいほうが削られていく。脆いほうが崩れていく。
同じ強度では、ぶつかり合って壊れてしまうかもしれない。
別の物に変わってしまう。変わらざるを得なくなる。
そうしてボロボロになった『個人』を同じ場所に集めて、型に入れて、これでみんな同じだねって。
最初はただ純粋に、違うことが当たり前の社会を目指していたはずなのに。
言葉も権力もお金も道具も、すべては使い方次第だ。
わたしは性善説の元で生きている人間なので、最初から汚れているものはないと思う。
汚していくのはいつも人の欲望だ。
ゲイリーの祖母が「誰もが楽しく共存できるように」と作ったウェザーウォールが、権力者によって奪われ、力を拡大・誇示するために使われたように。
多くの場合、わたしはマジョリティ側にいる。今いるこの場所は、誰かの居場所を奪った跡地かもしれない。そう思うと、怖い。
まとまりきらない!
ズートピアから展開して語りたいことが沢山あって、どうしたってまとまりきらない!
観る度に繰り返し同じことを感じるかもしれないし、全く別のところが刺さるかもしれない。
今のわたしは上記のように受け止めているけど、また考えが変わるかもしれない。
自分が現実に置かれている立場や状況次第で、観方が180度変わる可能性だってある。
それほど、ぎゅっと濃縮された物語だということだろう。
もちろん、ただただ「かわいい!楽しい!最高!」という感想でも十分だと思う。
いま確実に言えるのは、大切な作品がまた一つ増えたということです。
この先の人生にズートピアとズートピア2がある子供たちが羨ましい。
子どもの頃の柔らかい心のままでズートピアを楽しみながら、観る度にいろんな気付きを得てほしい。
さいごに
ふと現実に目を向けると、心が荒むことばかり見えたりする。
そんな中でも、ズートピア2が世界的な大ヒットを記録していて、それぞれが作中の誰かに自分を重ねたり思考したりしている。
世界はいきなり変わったりしない。でも、誰かがやらなきゃ、何も変わらない。
誰かが、みんなが、少しずつ変われば。少しずつなら、世界は変わるかもしれない。
これはエゴではなく、願いです。
ズートピア2、とっても良かった!
観た人はぜひ感想を教えてください!!