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ブルーピリオドで八虎と橋田くんが訪れていた、ピカソ館。
漠然と、箱根辺りに行ってみたいな~と思っていたところに、明確な目的地がぴょこっと生まれた。
行きたいなと思ってから、既に一年以上経っちゃったけど…物事にはタイミングというものがありますからね。そういう事にしておこう。
彫刻の森美術館とは
彫刻の森美術館はその自然を生かして、フジサンケイグループにより1969年に開館しました。
当館の創設者であり初代館長の鹿内信隆は、「彫刻のための美術館は日本では前例がないため、彫刻の発展に寄与する」ことを目的としました。
彫刻の森美術館について より引用
箱根湯本駅からだと、電車・バスでの来館となります。
電車の最寄り駅は、箱根登山鉄道の彫刻の森駅です。分かり易い。
バスの場合は、小田原駅発もあるみたいです。
駐車場も広かったので、車利用の方も多そう。
わたしは、箱根湯本駅から箱根登山鉄道を利用して向かいました。
それについてはこちらのブログをご参照ください。
ピカソ館とは
ピカソ館は、20世紀を代表するスペインの芸術家パブロ・ピカソの作品を専門に紹介するために、1984年に開館しました。
以来、マヤ・ピカソから購入した陶芸作品188点を中心とした319点のピカソ・コレクションを順次公開しています。
室内展示場 より引用
コレクションを入れ替えながら、常時ピカソの作品のみを展示しているそうです。
二階建ての建物が、一人の芸術家の為だけに使われているなんて。すごいなぁ。
しかも入れ替えができるほどの作品数。
とはいえ、ピカソは生涯作品数が多く、その量はギネスブックに載っているほど。
絵画や陶芸など、すべてを合わせると14万7800点に及ぶそう。
あまりに大きな数字すぎて、全然想像がつかない。
鳥取県米子市の人口が14万4000人程度らしいので、米子市民に一つずつ作品を配っても余るほど…もう意味が分からないですね。
2024年11月現在は『異形のピカソ』と題した展示だそうです。
2022年5月28日(土)~
今回の展示では、ピカソ自身をいろいろな角度(作品の主題や技法)や、異なる時間(作品の制作年)により解体して、ピカソ像を再構築しました。
室内展示場 より引用
初心者だから、色々な時期の作品が観られるのはありがたいですね。
ピカソ…分かった?
八虎は言いました。「ピカソの絵がわかんない」と。
だからそれが最高とされている芸術が分からないんだと。
実際、作品のごくごく一部をこの目で観て……まぁ分かるわけないよね!
落書きみたいな(というか、ら、落書きでは…?)石ころに描いたラフ画や、よく観る『キュピズム手法』で描かれた展開図みたいな絵もあって。
色味が好きだな、とか、切り取り方が好きだな、とか。
そういう自分主体の感情は色々あるけど、いわゆる「なるほど、ピカソはこの作品を通じて云々かんぬん…」みたいなのはね、分かるはずもなく。
というか、生身で対面して言葉を交わしている人間ですら感情がすれ違うのに、言葉交わせぬ異国の芸術家の思いがちゃんと読み取れるわけなかろうが。
その絵がもたらした影響や、美術史的な価値、誰かが語った物語。
そんなのって結構どうでもいいことなんだと思った。
もっとちゃんと言えば、世界にとってはどうでもよくて、わたしにとってどうだったのかってことでしかないんだと。
八虎が「自分の物差しで作品を観れるようになりたい」と言っていたけど、たぶんこういう事なんだろう。
知識のある人が観たら、その色、その構図、そのモチーフ…あらゆるすべてに意味を持たせるのかもしれない。
でも、それはわたしが観て思ったピカソじゃない。
なにを思った?
じゃあ、わたしが思ったピカソってどんなだっただろう。
ここからは、わたしが感じたことをそのまま書く。
実際のピカソがどうだったかとか、作品の意味とか、そういう知識的な話は全然知らない。好きに書く。
最初に思ったのは「ピカソ…これはモテただろうな…」だった。
時代に即していない目線で申し訳ない。内心の自由として許してほしい。
そして、世界と人が好きで、寂しがりやな人だったのかなと。
目に映る、脳に至る、生み出される世界があれだけ変わっていくと、なかなかその思考を理解してもらうのは難しいと思う。
人は、一貫したものに安心感を抱き、不安定なものに魅力を感じるという。
ピカソはまさにそれで、作品からは一貫して世界への興味があった。
けれど、それを表現する手法や色合いがバラバラで不安定。
並べて眺めた時に「それ全部同じ人の作品ですよ」って言われたら、そんな人、気になっちゃうに決まってる。
陶芸作品で、お皿に色んな顔が描かれているものがあった。
どの顔もひょうきんで可愛くて、朗らかで、分かり易い。
館でもらったリーフレットに、ピカソが陶芸に興味を持ったのは晩年と書かれていたけど、晩年にあんな絵本みたいな顔が描ける人が、人嫌いなわけがない。
動物も、植物も、食べ物も、日常にあるモチーフで目に入る些細なものを、どんどん形に残していったんだろう。
それって、世界に対しての愛だって思った。
あんなに世界へのラブレターを創造していた人が、孤独に耐えられるとは思えない。
現段階で、わたしの中のピカソは「世界と人を愛した寂しがりや」だ。
何度か絶望して、諦めようとして、やっぱり諦めきれなかった人なのかなと思う。
ここまでで普段のブログの平均文字数なんだけど、もう一つ観た展示の話して良い?いいよ!ありがとう!
舟越桂展
ちょうど開催していた、舟越桂さんの展示も観てきました。
作品としては「永遠の仔の表紙」くらいの認識だったんですが、盛岡の方なんですね。
精緻な堀跡と、なまめかしい曲線。合わない目線。
全体的に祈りや肉体への信仰みたいなものがある気がして、調べてみたらご家族がカトリックらしい。
なるほど、それは合点がいった。
直線的な印象が強い『立ったまま寝ないの!ピノッキオ!!』と見比べると、舟越さんにとって、生物と無機物の違いは曲線(柔らかさ)だったのかしら、と思った。
誰もが一瞬足を止めていた『戦争を見つめるスフィンクス』の表情の妙たるや。
人の愚かさ、みたいなものも感じたけど、実際に戦禍の中にいて頭と心がバグったら、誰だってあんな表情になるのかもしれない。
あのスフィンクスは神であり、人なんだな…。
また行きたい
iPhoneの充電不足+モバイルバッテリーを持っていなかったため、写真が全くない…。
夜から予定があったからとんぼ返りだったし。
今度またゆっくり行きたいな。常設展ものんびり観たい。
おわり
芸術、分からないけど面白いなと思った。
分からないから面白いのか、分からなくても面白いのか。
わたしは考えるのが好きだから、たぶんどっちもなんだろう。
もっとフランクに色々観てみたいな。
まだ小さいギャラリーとかはハードルが高いから、有名どころから…都内だと、どこも混んでるんだよなぁ。
好きな作家やおすすめの美術館があれば教えてください。