映画 Wicked後編

観てきました!
ふせったーに投げようとしたら、認証やらなんやら面倒だったので、取り急ぎここに置いておきます。
鮮度の良い感想はあればあるだけいいかなと思って……メモアプリにベタ打ちしていたものをコピペしただけなので、いつも以上に読みにくいし、長いです。鮮度重視ということで。




!!!!ネタバレあり!!!!



泣きすぎてまぶたが重い。
前編(一幕)を、エルファバが自分の力を自覚して解き放たれる物語だとするならば、後編(二幕)はグリンダが自分の価値を本物にしていく物語なんだと思う。
その物語を描けるようになったのは、二人の「For good」な出会いがあってこそ。
二人が出会って起こった全ての出来事(善悪を問わず)が、それぞれを「For good」な結末へと導いた。

善くあろうとすることの難しさと尊さを、この映画で痛烈に感じた。
アルバムの曲目を見ながら記憶を辿って感想。

「幸運への道」であるイエローロード(レンガの道)を作るために、言葉と自由を奪われ強制労働に従事させられる動物たち。
言葉って種族(民族)の象徴で、言葉を交わして相互に分かり合うことからあらゆるコミュニケーションが生まれるのに、その言葉を取り上げて「理解できない音を発する自分達とは違う生き物」として下等な生き物と扱う様に、オズの下劣さを感じる。
かつては言葉を話す動物たちと生活していたはずの人々でも、世論が変わるとこんなにも下劣なことに従順になってしまうんだ。

動物たちを解放するために、たった一人でレジスタンス運動をするエルファバ。
魔法の力はあれど言葉の力をもたない、味方の居ない彼女は、暴力的な方法でしか自分の思想を伝えられなくて。
スクリーンの外側から観ているわたしは、このエルファバの不器用さをもどかしく思うけれど、エルファバから対話という選択肢を奪ったのは大衆なんだよなぁ。
そんなエルファバを、共通悪として仕立て上げた、体制側の美しきデコイとして祭り上げられるグリンダ。
祭り上げられたと言っても、グリンダ自ら目を瞑ることを望み、シャボン玉の中のお飾りになることを選択した。
それはずっと、彼女が求められてきたことだったから。
善くあろうとするのは大事だけれど、こんな状況だから仕方ないじゃない。
上手く立ち回れば、いつかきっとなんとかなるのよ、と。
前編のpopularでも、グリンダは「人が求める姿であること、人からどう見られるかが全て」と言っていた。
彼女のこれまでの人生が、いかに他者の価値観によって作られてきたかが分かる。
モリブル先生が、グリンダへの小馬鹿にした表情や言動を隠すことなく接していて、グリンダはそれにすら目を瞑る。だって、求められているから。
「みんなが喜ぶ、みんなが求めている=だから、私は幸せなんだ」と言い聞かせる。本心には目を背けて、美しく笑う。あまりにも美しく完璧な笑みに、人々は確信する。
「彼女は完璧で幸せに満ちた、善き魔女だ!」

けれど、他者によって作り上げられた「美しき善き魔女・グリンダ」であることを選んだのもグリンダ自身で。
選択の余地があったのだと、彼女自身の功罪を突きつける描き方に、容赦の無さを感じた……。

レンガの道の完成お披露目と婚約発表のシーンの虚構感が凄まじい。目線を合わせないフィエロと、必死に幸せを言い聞かせるグリンダが見ていられなかった。
私は幸せ、よね。と言い聞かせるグリンダ。
ほら見て?私、幸せそうに笑ってるでしょ?と。
なんか、中身はないのに綺麗にラッピングされたプレゼント箱を並べて「こんなにプレゼントがあるの、これって素敵よね?」って言い聞かせているみたい。

人々が集まっている場所に現れ、雲に文字を書き「オズに騙されている!」と大衆に訴えるエルファバ。
グリンダから手を添えられることすら拒んでいたモリブル先生が、そのメッセージを見せないようにグリンダを抱きしめて文字を書き換えるの、本当に悪党すぎる。
この人、自分に利用価値がある人にしか触れないよな。

亡くなった父親に代わり、マンチキン総督となったネッサ。
動物たちを排除する同意書へサインするのを止めるボックに「姉と同じだと思われる!」と怒鳴るネッサ。
姉があれだけ国を挙げて、全人類の敵に仕立てあげられている中で、どれほど石を投げられているのだろう…その心労は計り知れないけれど、権力でボックを縛るのは、憎まれても仕方のない行いで。
でもさぁ、これを言うと物語が破綻するんだけどさぁ、ネッサもボックも、グリンダやエルファバだって、まだ子どもなんだよ。学校に通って、同世代たちと傷付けたり傷付いたりして、そうして人間関係を学んでいく年頃の子供たちなんだよ。
社会の混乱は、こういう成長の機会を強制的に取り上げて、本来なら生まれなかったかもしれない憎悪を生み出すんだ。
全ての子どもたちが、ちゃんと傷付いて立ち直って、また新たな人間関係を築いていくというプロセスを、心理的安全性の中で経験できる世界であってほしいよ……我々大人たちがしっかりせねば……。

映画オズの魔法使いでドロシーが唱えた「No place Like home」を、エルファバが歌う。故郷が一番なのだと。愛された思い出なんてないけれど、故郷(ここ)に勝る場所はないと。
これは、ただわたしの中でタイミングがあっただけなのだけど、この歌を聴きながら、震災で故郷で暮らせなくなってしまった人たちを思った。
プロパガンダ的な意図ではなく、わたしのタイミングの話。
生まれた場所に居られなくなるっていうのは、いつだって突然で理不尽だ。
その理不尽に傷いている人達に「それでも戦え」と言うのは、残酷な強さだ。
戦う力をもっている人にしか許されない強さだ。
持たない我々は、同じ持たない者のたった一言に先導される。出来るわけがない。今より悪くなるなら、逃げた方がマシだ。
本当は、力あるものを支える事が出来るのに。
持たざる者の集合体が強大だから、多数は強いのに。

八方塞がりのエルファバは、現総督であるネッサローズの元へ。
ここのシーンさぁ…ネッサもボックも、どこまでも他責すぎて「キィーーー!!!!!」ってなった。
ネッサローズの台詞ひとつひとつから、ネッサもまた、ただ愛されるという事がない人生だったのかなと思った。
エルファバから見たら、父親の愛を一身に受けて育った可愛い妹。
ネッサから見たら、父親がネッサを愛する枕詞にはエルファバがいたんじゃないかな。
エルファバが「普通」じゃないから、エルファバと比べたら「普通」な自分は愛されただけと。
※あえて「普通」という表現をしているけど、言語表現以外の意図はない。
父親もボックも、先に誰かがいて、次にネッサを見てる。
姉は民衆の敵になり、父親は「姉のせいで」亡くなった。
その混乱と失意の中で側にいたボックに執着するのは、まぁ…うん…。
全てを他人のせいにして、悲劇の中から抜け出すことをせず、自ら「東の悪い魔女」となったネッサ。
そしてボックを助けるためにブリキへと変えるエルファバ。
役者が揃っていく。
ブリキに変えられたボックの憎しみの表情が凄まじく…心がないなんて嘘じゃん……

結婚式の準備をするグリンダの元を訪れるエルファバ。
二人が抱き合ってるだけで泣いてしまう助けて。
「私がオズと引き合せる。私なら出来る」というグリンダ。姿を消すエルファバ。

プラレールで遊ぶ楽しげなオズ。は、腹立つ〜!
オズが歌うwonderfulの歌詞にボコボコに殴られた…。
ちゃんとした和訳(字幕)は覚えてないけど、「真実を見せても、誰も信じない」「人々は一度信じたもの、信じたいものを信じ続ける」みたいな歌詞で…本当にそう。
大衆は、わたしは愚かです。
オズが陽気に歌い踊るほど、滑稽で虚無で楽しそうで。
魔法の箒をオズの仕掛けに乗せてブランコにして、そこに座って「二人ならなんでもできる。一緒に組もう」と歌うグリンダ。
一人で自由に飛べるエルファバは、オズ側に来たら決まった場所と範囲でしか行動できなくなるのかなと思わせるセット。グリンダのシャボン玉装置みたいだね。
それでも、受け入れる姿勢を見せるのも分かる。
だって、ここにはグリンダがいるんだもんね。
そんなエルファバを見て、本当に幸せ!と結婚式の準備に戻るグリンダ。ここのグリンダの声が無邪気で、逆につらくなる…。

エルファバの和解条件を飲み、チステリーたちを解放するオズ。この一件があって、後にチステリー達はエルファバ側になるという整合性の取れたシーン。
美しく装飾された結婚式場と、暗く湿った地下室…対比が効きすぎている…。

前編の時から思ってるけど、エメラルドグリーンはオズの美しい街の象徴のカラーなのに、エルファバのグリーンは異質な扱いをされているの、同種族のなかの異質に対する人間の不寛容さをよく描いてるよなぁ。

閉じ込められ、言葉も失ったディラモンド先生が留めとなり、怒りが抑えられなくなるエルファバ。
エルファバの怒りに答えるように、解放された動物たちが結婚式場へと雪崩込む。
一連の流れを見ているから、動物たちの暴走も理解できるけど、なにも知らない参列者たちからしたら「動物たちは凶暴で危険」「先導したのはエルファバ」になるよな…エルファバが行動すればするほど、彼女を追い詰めるストーリーが出来上がっていく……
ただでさえ混乱した状況の中、さっきまで自分と結婚するために着飾っていた人が「彼女(エルファバ)と一緒に行く」と言うの、グリンダからしたら訳が分からなすぎる。
戻ってきてほしくて間を取り持った親友と、結婚するはずだった恋人が、手を取って自分の前から去っていく。
全てを与えられ、相手の求めるままに振舞ってきた結果が、唯一無二の親友と恋人両方を同時に失うことだなんて。
二人が去った後のグリンダの表情の変化がゾッとするほどで。呆然とした悲しみが怒りへと移行し、「ネッサローズを使えばエルファバをおびき出せる」と呟く。
提案ではなく、呟いた感じがグリンダの深い怒りを感じさせる。親友を捕まえるために妹を使うなんて、グリンダが正気だったら口に出さないもんな…。

怒りは二次感情というのを、要所要所で痛切に訴えてくる物語だ。

ぐちゃぐちゃになった結婚式場で泣くグリンダ。
その姿すらも美しく絵になっていて、グリンダという人を、周囲が勝手に脚色してしまう気持ちが分かる…

一方のエルファバとフィエロ。
エルファバの隠れ家を見て愕然としているけど、これがあなた達がしてきた事の結果ですよ。
隠れ家でフィエロと対峙してるときのエルファバの表情がすごくあどけなくて、ただの少女のようで、シンシア・エリヴォの表現力が凄い。
グリンダとは魔法の箒をブランコにした装置でしか飛べないけど、フィエロとなら自分の魔法で一緒に飛べるという対比…エルファバとグリンダは唯一無二だけど、エルファバが本当に望むものを与えてくれるのはフィエロなんだね。
ときおりSNSで話題になる「長年の友人か、恋人か」論争を思い出してしまったね。どんなに唯一無二の相手でも、友愛と恋愛は似て非なるもので、満たされる場所が違うのだなぁ。

スーパー余談なんですけど、フィエロを演じた方、最もセクシーな男性2025に選ばれてるらしい。それって女性版もあるんですかね?なにをもって「セクシー」としているのか分からんが、なかなかにアレな賞(?)だと思うんだけど…現代価値観としてあってんのか?

モリブル先生の魔法で竜巻が起き、オズの魔法使いの物語とリンクしていく。

ドロシーたちを見送り、ネッサを悼むグリンダの前に現れるエルファバ。
ここの二人のけんか、演技がコメディタッチなのもあってめちゃくちゃ好きだ〜!!
エルファバをビンタした事に驚いて嬉しそうにするグリンダのかわいいこと。そうだよね、人気者として振舞っていたら、ビンタなんて出来ないし、しようとも思わないもんね。エルファバの高笑を真似て「それやめて!」っていうグリンダも可愛い。What is this feeling?の最後でも高笑されてたし、学生時代にちょいちょいあったのかな。笑

駆けつけたフィエロが、衛兵達に捉えられて「彼を傷付けないで!彼は彼女を…愛してるだけ…」と言うグリンダの表情の痛々しさ。
あまりグリンダと目を合わせようとしなかったフィエロが、ここにきて目を合わせるの、グリンダの気持ちを思うと…フィエロ、おまえ……

フィエロを救うために呪文を唱えながら「これで合ってるの?私はいつも救えない。善いことをしているつもりなのに、いつも間違える」と言うエルファバ。
ここ、本当に心が痛かった…いや、ずっと痛いんだけど。
わたしは性善説を信じていて、人は善くあろうと思うから学び、考え、行動すると思っている。
だから、一つ一つの掛け違いや行き違いで、その人がとった「善い行動」が不幸なドミノ倒しになってしまうのがとてもつらい。
自分にとっての善行が、他人を不幸にしてしまうなんて。
だったらもう悪くなってしまった方がいい。グリンダが他人の望み通りに生きることで自分を守ったのと同じよね。

オズの魔法使いの物語とリンクしながら進む、西の悪い魔女討伐ムーブ。
虚構の平和が崩れさり憔悴したオズと、さらにけしかけるモリブル。オズって事なかれ京楽主義な人で、悪役の器ですらなくて、モリブルに良いように使われていただけなんだろうな。共犯者である事に変わりは無いけど。
ブリキ男となったボックがグリンダを憎しみが籠った目で睨むとこ、怖すぎる…反転アンチ……ネッサとボック、まじで他責が凄まじく成長することがなかった二人で、その点ではお似合いだよ……。

グリンダが自分と向き合い、シャボン玉から抜け出そうと歌う曲。このカメラワークやビジュアルがめちゃくちゃ好き。
全てが用意され作られた美しさのなかで、その虚構の人生に決別し、現実と向き合うことを決意するグリンダ。
守るために善くあろうと望むグリンダの強さが、すごく好きだ。
その決意はグリンダ個人に留まらず「善い魔女」としてオズの道標となる。
行き先が決まったシャボン玉から飛び出して、馬に跨りエルファバの元へ駆けるグリンダ。連れていかれるでもなく、向こうが来るのを待つでもなく、自ら会いに行く。グリンダの決意が行動力となってわかるシーンだ。
てか、前編冒頭のシーンってここだったんだ!!!!

映画の副題にもなっている、物語のテーマ「For Good」を歌うエルファバとグリンダ。
ボロボロ通り越してボタボタ泣いた…泣いた……
もう限界、降参する。というエルファバ。
一緒に真実を公表しようというグリンダ。
悪役がいる物語を終わらせるためには、悪役を倒すしかないんだよね…例えそれが作らた悪役であったとしても。
人は信じたいものを信じるので…。
グリモリーをグリンダに託し、「ただの文字だから、学べばいい」というエルファバ。
例え読めなくても、善くあろうと自分を律することが出来るグリンダが持っている事が大事なんだと思う。

グリンダをクローゼットに隠し、西の悪い魔女としてドロシーと対峙するエルファバ。
ここの影絵の見せ方がすごく童話的で良かった。
声を上げないように口を多いながら、隙間から一部始終を見届けるグリンダ。ときおり漏れる嗚咽や表情に彼女の辛さが伝わり、大号泣です。
ドロシー達が去った後、残った帽子を抱きしめ泣くグリンダ。チステリーが差し出した緑のボトルに、全てを察する。
オズにボトルを突きつけ、今すぐこの国から出ていって!と言い渡し、モリブルも収監し、新たなオズの善き魔女グリンダとして民衆の前に立つことを決意する。
鏡の前で真顔でティアラを身につけるグリンダの勇ましい美しさよ。決意した者は一際に美しい。

そして前編冒頭のシーンへ。
民衆…オズに住む人だけでなく、動物たちも含めた民衆に語るグリンダがとても良かったなぁ。
「また新たな危機が訪れるかもしれない。その時は、もし良かったら、私が力になれるように努力する」みたいなセリフだったと思う。力不足な自分を認めつつも、善き魔女としてあろうとするのが分かる。
グリンダは魔法の箒を持たないけれど、彼女を包むシャボン玉が割れることなく漂う、穏やかで柔らかなオズになっていくんだろう。

そして、エルファバのいた城に訪れるカカシとなったフィエロ。
隠れ家で「城には隠し通路もある」と言っていたのが、このトリック(?)への伏線だったんだね。
オズの外へと旅立つ二人と、オズに残り復興の道標となるグリンダ。
二人の歌声がリンクし、光を放つグリモリー。
あれは、グリンダが魔法を使えるようになる兆しなのか、それともエルファバが生きている事を(本人が意図せずとも)伝えたということなのか…いずれにしても、道を違えても、もう二度と会えなくても、お互いの存在があったから、今の二人がいるんだよね。<追記>
ラストでグリモリーが勝手に開いたシーン。
もしかしてグリモリーって、魔力以外に「使う素質がある者」を見極める能力があるのでは。
エルファバの望みに呼応して、適したページが開かれたりしていたし、グリモリー側にも何かしら使用者を選ぶ機能の様なものがあるのかもしれない。
その想定でいくと、善くあろうとするグリンダは、グリモリーに認められたのかな…と思ったりした。

そして差し込まれた、学生時代のワンシーン。
ミュージカル版ポスターのあの絵の再現で大号泣。
なんて粋な演出なんだ…どこまでも舞台版へのリスペクトを感じる、奇跡みたいな映画だった。

Wickedのキーワードでもある「For Good」
言語の成り立ちとかは分からないけど、永遠に変わらない変化を表す言葉に「Good」というポジティブなワードを当てたこと、人の善性を感じてすごく嬉しくなる。
たとえその変化が良い(善い)かは分からなくとも、そうであってほしいという思いを、勝手に感じてしまうから。

たぶん自分の中で取りこぼしている感想も、言語化出来ていないことも沢山あるんだけど、初見の感想ということで!
上映中にまた観に行きたい。