青い世界で出会った言語 ー 八虎とブルーピリオドの話

ブルーピリオドが好きだ。

それ以上に、主人公である矢口八虎という人間が好きだ。

ブルーピリオド 一巻

 


初めて会話をした日

八虎は賢く器用に日々をこなしている。

「学校の勉強ばかりではつまらない大人になるぞ」という父親。

「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という母親。

一見するとイマドキの不良な八虎は、賢く器用で、そして親思いでもある。

両親の言いつけ通り、時にヤンチャに遊び、時に勉強をし、容量よく立ち回る。

学年順位は4位。早慶なら楽勝レベル。

彼は一人、思う。

俺にとってテストの点を増やすのも

人付き合いを円滑にするのも

ノルマをクリアする楽しさに近い

ブルーピリオド一巻より引用

これほどまでに器用なのに、いや、器用がゆえに、八虎は虚しさを抱えている。

クリアするために自分がかけたコストが結果に繋がっているだけだと。

ただそれだけ。こんなに手応えのないことを、みんなはなぜ褒めるのかと。

それはおそらく、多くの人が思春期に感じるもので、大人になって過去を振り返った時に『青かった』『未熟だった』とお酒を片手に語るのだろう。同窓会とかで。同窓会、行ったことないから知らないけど。

 

けれど、八虎は出会ってしまう。こなしていた日々を『人生』に変えるものに。

自分が生を感じ、心が通うものに。それが絵だった。

八虎の心が通った瞬間の話が大好きだ。

 

選択美術の授業の課題は『自分が好きな風景』だった。

美術室で出会った、森先輩が描いた天使の絵。

それを見て、心が躍動する。今まで感じた事がないほどに。

友達と遊んでいるときとは違う。スポーツ観戦している時とも違う。

始めての躍動。興奮。衝撃。

もしかして、今までの『感動』って他人の感情を借りていたんじゃないのか?

楽しんでたのは確かだけど、でもそれって、タダノツキアイってやつじゃないの?

俺の言葉で、俺の感情を語った事ってあったっけ?

「早朝の渋谷は青い」とたどたどしく伝える八虎に、森先輩はいう。

あなたが青く見えるなら

りんごも うさぎの体も 青くていいんだよ

ブルーピリオド一巻より引用

ブルーピリオド 一巻

そうして八虎は筆をとる。描く。描く。描く。

早朝の渋谷って、なんか青い。

どうしたらあの青が出せるんだろう。色を混ぜて、塗り方を考えて、描く。

舐め切っていた美術の授業の最後の一コマで、頭の中の風景を描く。

少し眩しくて、静かで、眠たげで、ちょっとゴミ臭い。

そんな『早朝の青い渋谷』を描く。

最後の一コマでは時間が足りなかったけれど、なんとか出来上がった一枚の絵。

八虎の好きな『早朝の青い渋谷』の絵。

張り出された八虎の絵を見て、友達が言う。

ブルーピリオド 一巻

この瞬間、八虎は初めて自分の心から出た『好き』を、自分の言葉で他人と共有した。

高校二年生にして、生まれて始めて手応えを感じた。

こらえきれず、泣いてしまうほどに嬉しい体験だった。

この体験を、八虎はモノローグで「そのとき生まれて初めてちゃんと人と会話できた気がした」と語っている。

 

八虎が初めて獲得した『自分の言語』が絵だったのだ。

 

そこから八虎はこなしていた日々をやめて、美術の道へ進むことを決める。

今ままでリスクを取らず、器用にこなしていた八虎だから、その決断は周囲にとっても晴天の霹靂で。

本気にしない教師。心配性の親の説得。足りない時間。

ブルーピリオドは漫画でフィクションだけど、八虎の人生はご都合主義じゃない。

八虎が悩んで、泣いて、藻掻いて、ようやっと空いた隙間に足を突っ込んで切り開いてきたものだ。

もっと楽に生きる道もあったのに。もっと上手に生きられる人なのに。

賢くて器用なのに、よく気が付くせいで気にしすぎで、一人でぐるぐる考え込む。

インプットする度に考えすぎて、アウトプットするのにつまずいて、ぜ~んぜん器用に生きられない。

自分くらいコストをかければ、誰でも同じレベルまで出来るだろうと言う。

八虎にとって、努力は才能ではなく、平凡な自分がかけるべき当たり前のコストなのだ。

才能もないし、自信もない。コストをかけないと追いつけないし安心できない。

ないない付くしの中でも、続けたい事がある。学びたい事がある。

好きなものを好きって言うのは怖いけど、好きって言いたい。

わたしは、八虎のその不安定な人間性が、たまらなく愛おしい。

常に思考しすぎてしまう頭でっかちな部分に自分を重ねて、八虎ほど考え抜いたり行動したり出来ない自分にちょっと凹む。

 

絵がうまいのは、事実だから

八虎と対極の存在として、高橋世田介くんという人がいる。

同い年で、反則級に絵がうまい。馬鹿みたいに上手い。

「才能があっていいな」と羨む八虎に、「才能じゃなく、ただの事実だ」「なんでも持っている人がこっちくんな」と言う、そんな人。

互いにないもの強請りで相手を羨んでいるのだけど、二人がつかず離れず、他の人と違う形で関係を構築していく様が好き。

大受験当日、これまでの無理が一気に襲ってきた八虎に言った言葉なんて、もう最高にしびれる。

ブルーピリオド 六巻

同じ場所で戦う、見るからにギリギリの相手に、この一言。

強い、かっこよすぎる。

世田介くんの考え方や、発する言葉の端的さが好きだ。

ただの事実を「才能」と言われ、それ以外なにも無いようにされて、どんなに時間をかけてもやっぱり「才能」で片付けられてしまう。

かけたコストを、才能というたった一言でなかったことにされるって、むごい。

八虎を通して、同じようなことをしてしまっている自分に気付いて、また凹む。

 

ああ、もう、世田介くんについても話したいことが沢山ある。

世田介くんだけじゃない、ユカちゃんや橋田くんやマキちゃん、その先で出会った人たち…みんなのことを話したい。

無限に語れる。こわい。

 

文化って人が創ってきたものじゃん?

ブルーピリオドには「才能」と「努力」や、「事実」と「解釈」の話がよく出てくる。

どちらも、角度を変えれば、知識があれば、見え方が変わる。

個人的に日頃よく考えている事でもあるので、自分にはない美術の視点から掘り下げられていくのが楽しい。

アハ体験のような瞬間を、『矢口八虎』という人物を通して丁寧に嚙み砕いて読ませてくれるのが、ブルーピリオドの醍醐味だと思う。

ブルーピリオド 一巻

わたしもそう思っていた。

自分に情緒がないから、美術なんて分かんないって。

わたしに必要なのは、情緒じゃなくて知識だった。

高尚なものから、俗物的なものまで、その幅は広い。

作品のすべてを理解しようとしなくていいし、「なんか好きかも」くらいでいい。

絵画も彫刻もインスタレーションも、誰かの言語ではあるけど、すべての言語が理解できるはずはないから。

言語であると同時に、人が人のために生み出して積み上げてきた文化でもある。

分からなくても、文化として楽しめたら、そっちの方がお得感がある。

なんだ、音楽と一緒だ。好きな時に好きなものを楽しめばいいんだ。

それくらいの気楽さで、わたしも芸術ってやつを楽しんでみたいなと思う。

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